開かずの間を開く(実家片付け)

きっかけは年明け早々に実家の両親がそろってコロナ感染した事。リビングに入るのを避けるため玄関入ってすぐのその部屋(開かずの間)で荷物置き着替える必要があった。

それから正月元日に起きた地震。リビングには物が散乱し、上へ上へと物を置いてゆく父。耐震棒を使用しているとはいえ明らかに危ない。

 

思えばいつから開かずの間になってたのだろう。実家が職場であるから常に出入りはしていたのだが、自身の子育て、仕事で中核の役割を担っているため、休み時間もコーヒー飲んで寝るなどしていて、あまり実家の様子に気を使っていなかった。

2年前の2月に母が帯状疱疹を発症し、顔の左側の三叉神経を病んでしまったものだから、痛みで生活が一変してしまった。痛みで何もやる気が起きない。鎮痛薬も神経ブロックもいろいろ試したけど痛みから解放される事は無かった。と同時に記憶障害が顕性化してきた。いわゆる物忘れ。鎮痛薬の使いすぎ?帯状疱疹ウイルスのせい?急にきたので考えてしまったが、よくよく考えると帯状疱疹になる前から物忘れの予兆はあった気がする。連続ドラマが見られなくなった(単発の2時間ドラマばかり見ていた)。料理のレパートリーが限定されてきた。味付けがマンネリになった。新しい事が覚えられない(ガラケースマホに変えたあたりから外との連絡が減った様に思う。使い方が上手くわかってなかったか?)。昨年は物忘れ外来に行ってみたがまだ認知症とは言えず、軽度認知障害(MIC)と…半年空けて行ったけどやっぱりMICとの診断。いやいや、受診のその日に私は悟ったよ。食堂でカレー頼んでトイレに行くと言った後帰って来ずウロウロ私を探している母。「カレーきたよ。食堂で待ってたんだよ」というと「カレー?!」という母。これはどう考えても認知症でしょう…(泣)

 

開かずの間はドアの取手が取れ、照明が壊れ、業者に入ってもらわなければ治らない状態だった様だ。人に見られるのが嫌でわざと直さなかったのか…?そうは思いたくないが…。雨戸も閉め真っ暗で淀んだ空気が漂う。スマホの照明を当ててみるとうず高く積まれたゴミ袋の山!何これ…(ペットボトルを入れた袋であった)。多分出す曜日は分かっていつつも、その曜日に資源ゴミを出す、という動作ができなくなっていたのだろう。ま、いいや来週やればまぁいいやで溜め込んだか…。

少し前までは私が家の整理に手を出すと「そんな事はゆっくり私が後でやるから…」と嫌な顔をする母であったが、最近はそれすら興味がなくなった様で、私がゴソゴソしていても口を出さなくなってきた。足腰も衰えてきて、2階の寝室にあがれなくなるのも時間の問題かもしれない。事実、まだゴルフに行けている80台の父もコロナ感染の日は床ひきの布団から立ち上がれず大声出しても誰も来ず1時間半格闘していた様ですっかり気落ちしてしまった。

 

やるしかない。今やらなければならない。

 

スイッチが入った。

 

そういうわけで、玄関入ってすぐの開かずの間と格闘する日々が始まった。出入り口付近から物を少しづつ出して分別。何年もそのままであろうその部屋の物はすでに命を失っていて、母は何が入っているのかも忘れてしまっていると思う。基本ゴミなのだ。分別してゴミ袋へ、そして収集の日に家から出す。これを繰り返す。週3のゴミの日に2袋づつくらい。数年前に消費期限の切れたビールや缶ジュースはもったいないが全部流しに捨てて中を洗い資源ゴミへ。ウイスキーの瓶も大量に発見。世界恐慌の時に瓶に囲まれた飲兵衛が大金持ちになったエピソードがあったよなぁ、など考えながらも、いやいや今は片付けるためにスペース空けなきゃ、とガンガン資源ごみに出して行く。ダンボールも雑誌も雑紙も分別して縛って出してゆく。こんな事をし始めて10日あまり。床が見えてきて奥の電灯(吊るし電球)に手が届くようになった。電球を取り替えたら、点きました!助かった。まだまだ道半ばであるが、着実に進んでいる。

 

母には申し訳ないが何も言わずに捨てている。でも一応何なのか確認はしている。大量の服、特に辟易するのが大量の帽子とバック…。旅行工程表、各所のパンフ。ゴルフ用品。職場の事務用品(買った袋のまま日の目を浴びてない物品も多い)。まだ職場の事務作業を担っていた頃(5年以上前)の大量の書類、父母の実家(私の祖父母)から受け継いだであろう音楽CD、家具。ピアノの発表会のVHSやカセットテープ、写真。市民オーケストラ、音楽協会の書類。音楽会のパンフレット、タカラヅカも。母の人生を図らずしも私が追いかける形になっている。片付けは苦手だったが瞬発力がありその時目の前の事に一生懸命だった母。料理が好きで、文句も言わずに美味しそうに食べる私たちを見て満足そうだった母。人の世話を焼くのが好きで自分の事は二の次だった長女気質の母。

 

そうなのだ。この部屋はかつては母の城。一時はグランドピアノが2台入っていた8畳間。ピアノ教室…。

 

もう一度機能する部屋にしたい。いろいろ考えながら作業をするこの時間、今後老いていく私にとっても学びが多い。人生には限りがある。老後は時間的余裕があっても気力体力が衰えてゆく。時間を大切にしなきゃ。心地よく生活するための努力はしていかなきゃ。新品であっても高価な物でも使わない物ときめかない物は処分しなきゃ。いつも何か探している様な生活からは脱却しなきゃ。そんな事に気付かされる。やたらに多い収納場所、収納家具も考えものだ。本当に必要な物ってそこまで多くない。家具がスペースを占拠している。処分が必要だ。最終的には買うという行為の際、本当に必要か、よく考えて納得して購入しなきゃ。そう思います。

 

そんな訳で、職場(実家)に行かない週末は、自分の家の断捨離を少しづつ始めています。どこまで続くかわからないけど(笑)。亡くなった義母から受け継いだ食器類。陶芸家だった彼女は、これは相馬焼、これは九谷焼、自分の師匠の作品…といって懇切丁寧に説明包装してくださった。もしかして使うかな?と中の良さげなコーヒカップ2客だけ出したけど結局食器棚の奥の方で寝てるだけ。こういうのは本当に趣味よね。ときめくかどうかは人それぞれよね。踏ん切りついた。全て不用品回収の方に持っていってもらった。もし気に入って購入される方がいたらそこで第2の人生輝かせてください。食器さんたち。元気だった頃の義母を思い出しながらさよならしました。許してね。お母さん。

 

今日は雑紙7袋、雑誌束7個、ダンボールまとめたもの2縛り、資源ゴミに出しました。それからいつから置いてあるのか不明な毛布類を洗濯乾燥にかけている。大型コインランドリー、便利よね。文明の利器ありがとう。

 

そして今日もまたゴミ分別、ゴミ出しの日々が続きます。頑張れ私…。